4歳で音楽を始めてから、もうすぐ15年。
自分が出したい音、音楽性はきっと毎日変わっていく、大きな変化ではなく。
いまだに未知の世界。自分が弾いた音を分かっているようで、ぜんぜん分かっていない。
一音一音考えさせられる。そしてこれから弾く音をどうしようか…考える。
弾くときに、消化されて考えが頭から心を経由して指先に渡っていく感じ。
「ピアニストになるの?」
という質問に、即答は難しい。
ピアノは自分にとって不可欠だし、多分自分のほとんどを占めている。でも、それだけを見ていれば良いの? 違うよね。そうずっと考えていた。
でも、それが何なのかなかなか見つけられず。
だから、こうやってノルウェーにやって来て
もくもくと課題をやって、
毎日ひたむきに楽譜を読んで、
友人と一緒にリハーサルをして、
演奏会のチケットをいただいてホールに足を運んで聴きに行って、
週末は気の合う友人とご飯を作ってたわいもない会話を交わす、
こういう日々がすごく私には奇跡というか。すごく幸せだと思う。
悩む事もあるけれど、それは簡単には手に入らない事をやっている証なのかなと思う。
逆に、こういう日々が突然終わってまた前に戻って……そうなってしまったらどうしよう。そんな不安がある。
自分を信じなければやり遂げることはできないと気づいているのに、
自分を信じきれていない部分がある。
人生は短い、と教えてくれた天国にいった友だちのためにも、やれる事をやろうと思う。
納得いかない事も、失敗も、思い通りにいかないことも、毎日色々なことが頭上に降りかかってくる。
でも、生きている人間にしかその試練は訪れない。頑張る対象が自分にあることに救われている。
ピアノ。もっと自分の音に耳をかたむけようと思う。
指を早く動かす前に、
難しい曲を弾く前に、
もっと音とにらめっこして、じーっと観察してみる。
音を磨いて、一個一個が宝石みたいに綺麗で、パールみたいにあわくて丸くて優しい音で、それがいっぱいつながって、ひとつのネックレスみたいな音楽になったら素敵だなと思う。
そして、人と人をつなぐ事のできる音楽。そんな音楽ってどんなものなんだろう。
高齢者も障がいのある人も病を持っている人も子供も大人も健康な人もお金がある人も、境がなく、みんなをつなぐ存在として音楽があってくれたら。
健康的に見える人でも、裕福で恵まれている人でも、心にどんな悲しみや苦しみを持っているか分からない。
薬で症状がよくなるかもしれない。でも、病院でもらう薬は”心”には染み入らない。そういう部分を音楽で救えたらと思う。
鍵盤の上で自分の指が音を紡いでいる時、
自分がピアノをやめようと思ったこと
ピアノなんてだいっきらいって思っていたこと
自分の演奏なんて誰も聴きたがらないと落ち込んでいたこと
もう人生なんて終われば良いのに
このままどっか消えてなくなりたい
自分がどうしようもないくらい嫌い
そう思っていた時のこととか、
自分が出した音を聴きながら、出す音を思い浮かべながら、色々なことを思い出したりする。
今はまだ未熟な演奏だけれど、聴いている人が前に進むことが出来たらと願う。
自分が、音楽に背中を押してもらえたように。
弾き終わった後の温かい拍手の音が胸に響いて、それは一生自分の中に残っていく。